SVA 公益社団法人 シャンティ国際ボランティア会

English Pages

スタッフからの便り(スタッフ日記)

悲しいタイからの知らせ


SVAの支援するバンコクのチュアパーン・スラムに住む「チンタナーさんが危篤です」。と、連絡を受けたのが、今年の1月20日。連絡を受けとったのは、プノンペン。SVAタイ事務所の奨学金を担当しているスタッフの江幡さんからの連絡だった。この時には、すでに意識は無く、かろうじて心臓が動いている状態だった。危篤の彼女のお母さんから「どうしても可愛がってもらっていた八木沢さんに連絡をして、安らかに休むようにと祈って欲しい」。とのことだった。プノンペンから、「もう本当に頑張ったから苦しまないで、安らかに眠るように」と祈った。一日でも長く生きていて欲しいという気持ちと、もう苦しまないでという気持ちが入り混じっていた。私たちにとっては、可愛がるどころか、世界でも困難な心臓と肺の同時移植手術を手術してから3年持てばと言われていながら懸命に生きる姿に勇気づけられて励まされていた立場だった。

チンタナーさんは、今から11年前の1996年、先天性心疾患による気管支拡張症のために、タイはもちろん世界的にも稀な心肺同時移植を受けた。しかし、彼女が生きるためには、効果な輸入の免疫抑制剤を飲まなければならなかった。飲まなければ、生命の危機にすぐ直面した。薬代は、当時、月2万バーツ(6万円)。毎年のように、国内外の新聞等に彼女の薬代の支援を呼びかけて何とか支援続けていた。その後、タイ政府からの特別の医療の援助が受けられるようになった。チンタナーさんの夢は、看護婦になることだった。しかし、健康状態から無理だとわかると、通信性の大学で学び、何と先週、見事に卒業したばかりだった。来週には、卒業証書を授与される予定だった。

1月23日、午後、とうとう安らかな眠りに入り、天国へと旅立った。1月24日、チンタナーさんが横たわるバンコクのお寺を訪ねると、お母さんが私の顔見ると、泣きながら胸に飛び込んできた。慰めの言葉は見つからなかった。横たるチンタナーさんの顔は安らかだった。そして、彼女の身体には、大学の卒業式の時に着る眩しいばかりのガウンが着せてあった。チンタナーさんの手を握るとやわらかく、少し温かった。

チンタナーさんは、少しでも学費や薬代の足しにと、体調がいいと、スラムの前で炎天下のアイスクリームを売ったり、サンドイッチを自分で作って売ったりしていた。そして、だんだん外で働けなくなると、得意の手工芸作の才能を生かして様々な手作りのブレスレット等を作って売っていた。いつ死ぬかわからないという恐怖の中でも、夢を忘れずに懸命に生きたチンタナーさん。

最後に会った昨年の12月末「大学の卒業式には、カンボジアから来て必ず出るからね」。と、いって別れたのが最後となってしまった。チンタナーさんのお通夜には、チュアパーン・スラムの住民に混じって、SVAからの奨学金を受けている子どもたちも参加していた。そして、SVAのタイ事務所の江幡さん、田村さんも毎日の入院中のチンタナーさんや家族を励ましていた姿が心に残った。チンタナーさんの生きる姿を通して、私たちも命の大切さ、生きることの意味を本当に考えさせられました。24才の短い生涯だったかもしれない。しかし、心肺の同時移植の手術から11年。チンタナーさんの周囲の人々に、生きる勇気と命の大切さを訴え続けた価値ある24年。

どんなに苦しくて、明るく夢を捨てずに一生懸命に生きたチンタナーさんの冥福を心より祈ります。チンタナーさんを支えて下った多くの皆様に心より感謝申し上げます。

 

八木沢克昌

チンタナーさんは、今から11年前の1996年、先天性心疾患による気管支拡張症のために、タイはもちろん世界的にも稀な心肺同時移植を受けた。しかし、彼女が生きるためには、効果な輸入の免疫抑制剤を飲まなければならなかった。飲まなければ、生命の危機にすぐ直面した。薬代は、当時、月2万バーツ(6万円)。毎年のように、国内外の新聞等に彼女の薬代の支援を呼びかけて何とか支援続けていた。その後、タイ政府からの特別の医療の援助が受けられるようになった。チンタナーさんの夢は、看護婦になることだった。しかし、健康状態から無理だとわかると、通信性の大学で学び、何と先週、見事に卒業したばかりだった。来週には、卒業証書を授与される予定だった。

1月23日、午後、とうとう安らかな眠りに入り、天国へと旅立った。1月24日、チンタナーさんが横たわるバンコクのお寺を訪ねると、お母さんが私の顔見ると、泣きながら胸に飛び込んできた。慰めの言葉は見つからなかった。横たるチンタナーさんの顔は安らかだった。そして、彼女の身体には、大学の卒業式の時に着る眩しいばかりのガウンが着せてあった。チンタナーさんの手を握るとやわらかく、少し温かった。

チンタナーさんは、少しでも学費や薬代の足しにと、体調がいいと、スラムの前で炎天下のアイスクリームを売ったり、サンドイッチを自分で作って売ったりしていた。そして、だんだん外で働けなくなると、得意の手工芸作の才能を生かして様々な手作りのブレスレット等を作って売っていた。いつ死ぬかわからないという恐怖の中でも、夢を忘れずに懸命に生きたチンタナーさん。

最後に会った昨年の12月末「大学の卒業式には、カンボジアから来て必ず出るからね」。と、いって別れたのが最後となってしまった。チンタナーさんのお通夜には、チュアパーン・スラムの住民に混じって、SVAからの奨学金を受けている子どもたちも参加していた。そして、SVAのタイ事務所の江幡さん、田村さんも毎日の入院中のチンタナーさんや家族を励ましていた姿が心に残った。チンタナーさんの生きる姿を通して、私たちも命の大切さ、生きることの意味を本当に考えさせられました。24才の短い生涯だったかもしれない。しかし、心肺の同時移植の手術から11年。チンタナーさんの周囲の人々に、生きる勇気と命の大切さを訴え続けた価値ある24年。

どんなに苦しくて、明るく夢を捨てずに一生懸命に生きたチンタナーさんの冥福を心より祈ります。チンタナーさんを支えて下った多くの皆様に心より感謝申し上げます。

 

八木沢克昌

Syndicate this site (XML) メルマガ登録