「シウパウ、シウパウ、シウパウ」という声を聞いて、村人や先生たちである大人たちから歓声とどよめきが上がった。「シウパウ」とは、カンボジア語で、本の意味。カンボジアのコンポントム州の農村の小学校の子どもたちに、「今、一番欲しいものは何か」と質問した答えが本だった。さらに、コンポントムの街から山奥に四輪駆動の車で、3時間走りやっと辿り着いた村の小学校でも同じように「本が一番欲しい」という答えだった。ここは生徒数119名。先生は二人の複式学級。1年生から4年生までしかない。僻地の極貧の村であることが村人の家や自然環境からも一目瞭然。現在、カンボジアでは教育省が中心となって、ユニセフ等の支援の下にチャイルド・フレンドリー・スクール(CFS)構想を推進している。全ての子どもたちが学校に通えるようにとの願いからだ。現実は、農村の中でも幹線道路から離れた僻地となると小学校も2教室、先生が2人という小学校が多い。
小学校といっても僻地の学校となると教室には、机と椅子と黒板。教科書が子どもたちには皆無。子どもたちは、黒板から先生が書いた文字をノートに写して暗記するのが一般的だ。折角カンボジア語の文字の読書きを勉強しても、読む本が農村には存在していない。学校教育にとっての基本の教科書が無い。本、文字を読む楽しみを知らない。文字を通して、本を通して新しい知識、世界を知る機会が閉ざされている。僻地の農村の多くでは、小学2年生の途中で、ドロップアウトしてしまう。最低限の文字の読み書きと算数が出来る程度。
カンボジアの小学校は、1年から6年まで。カンボジア全体で、小学校6年生を卒業できるのは、43パーセントにしか過ぎない。カンボジア全体の小学校で、小学校に井戸とトイレがあるのは57パーセント。2007年1月のカンボジア教育省の最新の統計では、全国で、15,000教室が不足している。
子どもたちにとって、食べるものよりも本が一番欲しいという答えは、新鮮な驚きであった。カンボジアや他のアジアの国の農村で、子どもたちの就学率の低さは、労働力とした必要なこと、親の理解の不足、また、貧困が原因であるとされてきた。しかし、こうした原因はあるのも否定できないが、学校が楽しい場所ではないこと。学ぶ喜び、夢や希望、新しい世界を知る喜び、感動がないことが子どもにとっては、一番学校に行きたくない原因。今から15年前、タイの小学生にとっても宝物は何かという統計があった。何と、一番は教科書だった。 また、バンコクのスラムの火事の時、子どもたちが一番最初に持ち出すのは、教科書とノート、文房具の入ったカバンだった。大人たちは、テレビ、冷蔵庫といった財産だった。
アジアの農村の子どもたちは、国は変っても勉強がしたい。教科書が欲しい。本が読みたい、学校に行きたい、学びたい。本が宝物。子どもの教育の大切さは、理解しているつもりだったが、カンボジアの僻地の子どもたちの食べ物ではなく「本が欲しい」という声と笑顔に新鮮な驚きと教育の原点を感じた。子どもたちは、自分で本を買うことも、持ってくることも出来ない。未来の希望であり、宝である子どもたちに本を届けるのは、私たち大人の責任だと痛感させられた。
写真:「本が欲しいと手を上げて叫ぶ子どもたち」
八木沢克昌