メーソットから165キロほど南下したところにウンピアム難民キャンプがある。ここは1999年に設立されたキャンプで以前はワンカー難民キャンプとモカ難民キャンプという2つのキャンプであった。ところが、これらのキャンプは1997年と1998年にミャンマー軍の越境攻撃を受けた。そして、学校を含めて多くの家が焼かれ、火災に巻き込まれ3人が死亡、約20人ほどが負傷したといわれる。そこで、タイ政府は難民の安全を考慮し、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)と協力して彼らを内陸部に移動するよう促し、現在のウンピアム難民キャンプへと統合された。
過去にもこのようなケースは他の難民キャンプでも起きており、その度ごとに移転が行われている。2002年9月、メコンカ難民キャンプを襲った洪水の時は26名もの命が奪われ、その後、メラウ難民キャンプへと移転することになった。しかし、メラウは以前、ミャンマー軍に攻撃を受けたことがあり、安全が懸念されるので、UNHCRやNGOは同キャンプへの移転をやめるようタイ政府に働きかけたが及ばなかった。こうしてわかるように、ミャンマー難民の支援活動にはタイ政府との関係づくりが欠かせない。
難民キャンプは、タイ国の内務省、県庁、郡庁といった行政組織とタイ国陸軍の監督下にあり、支援活動を実施するNGOはこれらのすべての機関との調整なくして難民キャンプ内での活動は遂行できないからだ。タイ政府からの許可証を持っていない職員はキャンプ内に入ることはできないし、本や文具などの支援物資についても県庁や郡庁に書類を提出して許可証をもらってからでないとキャンプ内には運ぶことはできない。たとえ許可証があったとしても、キャンプに行く途中の陸軍常駐所に通達されていなければ持ち帰らなければならないこともある。とにかく制約が多く、国境の状況次第でタイ政府の政策が頻繁に変わることも多いので常に情報を収集しておく必要がある。難民キャンプでの活動は、政府との良好な関係づくりが不可欠であることは分かっていたものの、日々の活動の中で改めて実感しているところだ。
「日本人がカレン人のために活動をしていることはとても嬉しいことです。」ミャンマー難民の支援活動に携わる中で何度か耳にした言葉である。じつは、太平洋戦争のさなか、日本兵から残虐な仕打ちを受けて心身の傷を負ったまま生活しているカレンの人たちがいる。しかし、敗戦後、元日本兵を助け、カレン民族の村でしばらくかくまったという難民もいる。カレン人に助けられ、その後、国境を超え、現在タイで生活をしている元日本兵もいる。彼らと出会ってこの言葉を聞いた時、SVAの活動のもう一つの意味を感じる思いだった。
新しい世代の子どもたちが、戦争ではなく、私たちと将来新しい関係をつくるためにも難民キャンプでのSVAの活動はもっと大きな力を果たすのではないだろうか?ミャンマー難民キャンプと関わらなければこのような知られざる歴史を知ることはなかった。そして国家というものをこれほど意識することもなかったと思う。
ミャンマー難民事業事務所 中原 亜紀